Archive for 2017年5月8日

昔の人口と今のお子さんの人口は半減しています。この子の将来は誰が保証するのでしょうか?

人口が少なくなることが分かっていることで、いろんな方面に不安な事が起きてきます。

子供が家庭学習をきちんとやり、毎日の結果を出していれば、その後何をどうすればいいかは自分で考えることが出来ます。いつまでも指示を待つていては世界は広がりません。

小学1年~6年、中学1~3年までいかに家庭学習をこなしていったかで基本の思考力は育つのです。一度決めたことでも何度も繰り返し考えを治せるかどうか?

時代の変化に対応が出来るかどうかがその子の力なのです。

単純い勉強を進めているのではなく、将来の危機感を敏感に取り組んで欲しいと思います。

人と人とのすれ違いや、企業の繁栄のために個人が犠牲になるこの世界の構図を、いち早く考え、どう改革すべきかを提案できる大人に育って欲しいと期待しています。

少数精鋭になるのか、三角形の山が小さいだけの事なのかどう感じますか?

10年後を想像しましょうね。

成績を上げるためには何をどうすればいいか分かりますか?数字のみを追求したところで真実は見えてきません。

子供の成績が上がるためには親の管理が徹底していない限り無理があります。

当面のテストの結果をよくするだけではいい成績とは言えません。

何度も何度も同じところを繰り返し、100点が取れるまで分かっていることをやれるように指示をしないとお子さんは継続しません。

すべては数字を意識して、その決められた数字をクリアできることが最初の課題です。

その次に教えなくてはならないのは、なぜ日本では偏差値を重要視するのかなどの理屈です。

はっきりとした目標の為に、やるべきことを支持することは大変難しい課題にはなりますね。

本当のところ100点なんてどうでもいいのかもしれませんが、より能動的に勉強をやれる環境を実感として分かってもらうような家庭での躾が大切です。

よく考えよく覚え、教科書を繰り返すことが大人になるまでの基本かと思います。

規則とか周囲の出来事について無関心では生きていくことは困難な世界状況を今から体感して欲しいのが親の気持ちかもしれません。

人が人との間をうまくくぐり抜けるために毎日のトレーニングでしょうか?

苦しいと感じる心があるうちが人間です。

何も感じられないロボットが世界を動かすのもあと何年かには実現しそうですね?

日本の企業は相手の顧客を奪い取るまでも戦いはしていませんが、今後はどのような変化があるのか分かりません。

日本人の人口が2053年には減少し1億人を切る予定らしいです。

当然、現在を生きている生徒さんのお母さんやお父さんもこの世界にはもう存在していないのかもしれません。平均寿命がいくら伸びたところで100歳以上生きる人なんて何人もいないと想像しますよね。

現役の働いている人たちが、子供の未来を考え、いかに生活を楽しめるのかが問題です。

お金があることも大切ですが、優秀な頭脳を育成して、快適な生活が維持できるように工夫をしていくことで、人出不足が解消されます。

体が動かない人をサポートしているのが将来はロボットになるのかもしれません。

人から人に伝わる善意が人からロボットに伝達する心の微妙な感覚の理解できるロボットやペットが人の間に生まれるのでしょか?

人間という言葉ではなく、人プラスプレミアムツールを生活に取り得れるのが当たり前の社会になりそうです。

子供の数が1500万に減小している現実から想像すると人が人をサポートすることは不可能となります。

今を見つめてこの瞬間の親子の関係を十分に楽しんで下さいね。

30年後には自分のそばにいるにはわが子ではないのです。

子供の日ですが、全国の子供の数が昔に企画して50%に減少してきています。将来の日本は老害が心配されています。

頭でっかちの老人が増え、今の子供にその負担がかかります。

体力はあるのですが、脳細胞が劣化していき、新しいことに対応が不可能となります。

車を運転している70歳以上の老人の事故が起きていますが、ブレーキとアクセルを間違えた結果事故になっていることが多いいですね。

自分だけの問題ではなく周りの人たちを道ずれに大きな事故になっています。

脳の細胞が劣化していることや、体力が落ちていることに気が付いてはいても、認めたくないのかもしれません。

運転免許の更新時に何か規制を作り、免許の定年を実行して欲しいものです。

老害を明確に公表すべきなのですが、それを決めるべき人も老人の年齢なので、やはりさっさとは決定しません。子供の少子化が進んでいることについての対策は今や現実です。

学生の教育についても、高校を無償化にしている大阪など、この教育費はいったいどの層が支払うのでしょうか?

将来、その付けが必ずやってきます。老人に対するケアーに多額の経費も発生し、それを背をう大人の人数が少なくなるのです。長く生きるのはしあわせな事ですが、家族のいる人、孤独な老人、徘徊しているルンペンなど、すべて人間です。

助けられるうちは現実問題として何も起きませんが、どこかで悲鳴を上げているご家族の中で事件が起きています。

バランスのいい人類の年齢別、存在感はどこで決まるのでしょうか?

連休に色んな県から集まってくる人たちが、何も不安もなく過ごしているのかどうかですね?

5年先には、子供の日に、老人の介護をしているお孫さんの姿が目につきそうです。

車いすのは自分で乗れる老人でいられるといいですね。自動車の運転は厳しい規則が必要となりますね。

多様化しすぎて相手との連絡がリアルタイムではなかなかとりにくくなってきましたね。何か便利すぎるとかえって不便です。

昔は急ぎの連絡は電話を入れると90%は繋がりました。

今ではPCのメールや、スマホのメールLINE、3~4種類の方法があります。

電話をしてもメールを入れても、リアルタイムでつながることが10%あるかないかですね。

至急連絡を取るにはどうすればいいのでしょうか?

半日ぐらいして連絡がついても、まるで大昔の電報での連絡かと思いませんか?

動いているときに携帯でゲームをしている姿は見かけますが、急ぎのメールはいつみるのでしょうか?

いろいろ方法がありすぎるとかえって混乱します。

PCの詳しい人ほど、電話に対してはかかることすら不思議に感じるのかもしれないですね。

本来の携帯の役割を守りませんか?

特に仕事の連絡は休んではいられません。

困った事が起きた時に瞬時に対応が出来てこそ、そこの会社を信頼します。

人は身勝手なもので、自分が困っているときの時間を極力短縮したいのです。

何か、不特定多数の人の質問などを受ける仕事についている場合は、お休みはとらないで欲しいと思うのは利用しているものの身勝手な要求でしょうか?

この連休に地味な仕事をしている人が天使のようです。

デパートのレジでどちらが前か後ろかがわからない田舎から休日を都会で体験しようとしている人たちもいます。都内では当たり前のことが田舎には存在していないのです。

身についた習慣が違いますね。

小学生のお母さんに提言です。忙しい時こそ冷静に家庭での学習時間を徹底しましょう。

小学生のうちは、まだ時間があるように思えますが、実際は今しかないのです。お母さんがすべてと感じているこの時期は、たいして反抗はしません。

①小学1年~3年までは基礎を固めるために鉛筆の持ち方や、姿勢なども細かいところを躾の一環として見守ります。

朝起きて、顔を洗って歯を磨く、食事も好き嫌いなく食べるように指導する。

学校から帰るとその日のうちに宿題と家庭学習を計画的に消化することなど。

②小学4年~6年は受験するかどうかで勉強の時間が変化します。

A 中学受験を決めた子は学習塾と家庭学習の両立のために1日の家庭での時間を2~3時間はとれるようにする。

B 公立中学に進むには家庭学習のだけでも習慣をつけること。

小学生のうちから学校の予習復習が当たり前にように自分でやれるまで管理することです。

体の為にはスポーツも同時に習うといいですね。

人生で一番心も身体も吸収力が大せいです。お母さんの勢いのいい時期に計画的にお子さんとの時間を過ごして下さい。未来の夢の実現のために今しかできないことがあるのです。

小学の低学年の家庭学習が大学受験で結果を出しました。

小学3年までに家庭学習の習慣をつけてしまえば、その子供が行こうとする大学の受験勉強に力を出します。

ネットゼミの学習方法はきめ細かいステップで何度も同じような問題を繰り返します。

小学の1年からこの繰り返し学習を定着していれば、勉強の方法はこれが当たり前と思います。自分で読んで自分で問題を解く方法になれることはとても大切です。

まだ、家庭学習が嫌でない時期から習慣をつけてあげることが親の仕事です。

中学3年間には自分が将来やりたいことが見つかります。そのために勉強をすることの自覚があると成功します。

積み重ねが大切なのです。

連休に入ると都心より郊外に出かけたくなりませんか?田舎の人は都会にあこがれて、都会の人は田舎の生活にあこがれます。

普段の生活と違う体験をしてみたくなりませんか?都会の若者が田舎で無農薬の菜園で果物や野菜を作り、都会に住んでいるご両親の実家で無人販売を始めたところを見つけました。

そのうちカラスの攻撃に悩まされるとは思いますが、平和な光景ですね。

都会の住宅地で外に並んだ果物を見て買おうかどうしょうか迷います。

ご近所なのに、今回初めて顔を拝見して話をしました。35年もの間一度も出会いの無い人との会話です。

住宅街とは今も昔も会話などありません。

変な状況ですが、無人の販売を始められて、初めてそこの家の人が会話をされたのです。

逆ですよね.何かを売ろうとして初めて顔と声を発するのが人なのかもしれません。

お子さんも、自分が何かを人に購入してもらいたくなれば、それなりに勉強をするのかもしれません。

家庭学習は継続することで力が付きます。人と人はその間に自分の価値を認めてもらいたい欲望がないと会話をしないようです。

不思議な出来事がスタートしました。

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